2011年6月15日水曜日

記念の日

6月14日は、私たちがブラジルに到着した記念の日です。
早いもので20年になりました。

そこで、この週末には『移民祭り』があり、忙しいのですが、家族とお手伝いに来て頂いた人たちでシュラスコをしました。
子供たちに、よくもここまで我慢してついて来てくれたことに一言お礼が言いたくて、お礼の言葉をみんなに伝えさせて頂きました。

日本語の話に家内が『おかしい』と最近よく言われるので、多分おかしい表現が沢山あると思いますが、辛抱して読んでください。

おれいの言葉

子供たちへ」

「今日(2011614)は、私たちがブラジルに来て20年の記念の日です。
これから、どれだけお生かし頂き、御用に使って頂けるかは分かりませんが、子供たちに伝えておきたいこと、また、お父さんがどういうことを考えていたかを知ってもらおうと思い、みんなにお礼の気持ちをこめて言葉を述べてみたいと思います。

1991614日、私たちはサンパウロ、グァルーリョス空港へ降り立ちました。
長男佳行9歳、次男光徳7歳、三男安正4歳、4男宙2歳。そして佳代のお腹に長女の久保美がいました。
それから、モジダスクルーゼスの田代さん・ジョアキンさん兄弟のコンビに乗って、ビリグイ教会へ向かいました。

道中、サンパウロ支部の方たちが準備してくださった弁当を頂くのに道路脇によって食事をいただきましたが、近くに若者数人が笑いながら話をしているのを聞きながら、そして真っ黒い犬が吼えるのを聞き、とてつもなく不安になったのを覚えています。

ビリグイ教会に夕方、無事に到着。それからビリグイのご信者さんがたがフェスタをして下さいました。
その時、私はご飯を頂きながらフォークの間からご飯がこぼれるのを、中風が出たのかと思いました。実は、その当時、ビリグイでは日本米を頂くことはなかったのだと後で気がつきました。

ビリグイで3ヶ月間お世話になり、911日、私たちの布教地であったロンドニア教会へ向かいました。
ポルトベーリョからタクシーに乗ってアリケーメスへ向かいました。道中はジャングルを切り開いたような中にでこぼこ道が限りなく続いていました。
本当にここに来て良かったのだろうかと、限りなく続くまっすぐな道が余計私を不安にさせていました。
子供たちは、また佳代はどんな気持ちだろうか。不安になっていないだろうかと、後に座っている佳代の様子を伺うと、何とぐっすりと眠っていました。

途端に、私の心に安心が生まれました。
アリケーメスの街に入って、タクシーの運転手が住所を手がかりに道で遊んでいる子に家を尋ねたら、すぐ近くでした。不思議なことに、その子は、現在もクリチーバで信心をしている片山さんの息子、マルセルでした。

言葉も何も分からない中で、子供たちが元気に、カルチャーショックと言うようなものも感じないで、ブラジル社会に溶け込んでくれたことに心からお礼を言いたいと思います。

アリケーメスでの8年間。その間、なれないブラジル社会に憤りを感じることも多々あったけれども、いつも初代が教えてくれていたことを思うと解決がつきました。
その中には、久保美が死にそうになったこともあり、また、光徳が木から落ちて腕を折ったことがあったり、大河は、どういうわけか腕や脇に膿がたまったりと思いもかけないことがありましたが、おかげでみんな元気に、また素直に育ってくれました。
神様を杖につき、お縋りせねば通れないことばかりでしたが、いつも感動の中での8年間であったと思います。

そして、ブラジルにどうでもポルトガル語による教典が必要であるとの熱願が、クリチーバへ来ることになりました。
その働きの中には、アダルベルトの一言も神様の働きの中にありました。

クリチーバでは、若葉学校を創設して、子供たちが素直に協力してくれ、こういう大きなことになるとは思ってもいませんでしたが、まだ、不十分ではありますがおかげを頂いています。

これからも、是非、大きな願いを持って世の中のお役に立つ人になってもらいたいと思います。
それぞれの道は違っても、願いは同じところに持たせて頂きたい。お父さんは、このブラジルに和賀心時代を創るために来ました。もちろん、この願いはまだまだ少しも成就していませんが、少しずつ金光教を理解してくれる人が出てきたことは事実です。

みんながこれから色んなことに出会い、色んな困難にぶつかることもあるだろうと思いますが、そんな時に、是非、人間としての原点に立ち返ってください。

私たちは何をしにこの世に生まれてきたのだろう。どこに向かっていこうとしているのだろう。

私は、これからもブラジルの明るい将来のお役に立つために一生懸命、成り行きを大切に、神様の働きを頂きながらお役に立たせて頂きたいと願っています。

願わくば、あなたたちにもそのような願いの基にそれぞれの個性が発揮されることを願っています。

最後に、すばらしい子供たちに心から御礼を申し上げます。
神様に、初代にこのような有難い道にご縁があったことに心から御礼申しあげます。

有難うございました。

2011614日、ブラジル布教20年の記念の日に」 


2011年6月6日月曜日

この世には何をしに来ている




6月6日

「ここへは信心のけいこに来るところである。」
「ここ」と言うのは、「この世」と言う風に頂いたらどうだろうか。
「この世には信心のけいこに来るのである。よくけいこをしてあの世に還れ」
果して、私たちはこの世に何をしに来ているだろうか。
衣食のためにのみ働いてこの世を終えていくようなことではなかろうか。
それでは、あまりにもお粗末である。
先ほど聞かせて頂いたある震災後の話。
ある人曰く、「水を使わせて頂くことがこんなにもったいないことであった。普通に食事を頂ける事がこんなにも有難いことであった。これ以上のことを求めては、相済まないことであった」と。
衣食住に恵まれているときには分からなかった神様のおかげというものを、無くしてみて初めて分からせて頂く。
この実感が持ち続けられるおかげを頂きたいものです。





難儀、または困ったことに出会ったときに、多くの人はその原因を他に求める。
あの人が悪い、あのことがなかったら、自分はこんなことにはならなかったと。
震災に遭った人たちが異口同音に言っている事に、「これは何かの働きに違いない。それを分からせて頂きたい」と。
ある被災者が、自分の家業に使うはさみを送って頂いたと。その人が、「これで皆さんのお役に立つことができる。なぜなら私はこれで皆さんの髪を切らせて頂く、それが私の役目だと信じています」と。
果して、自分のこの世での役目はなんだろうか。
必ずあるはず、いや、なければこの世に生まれるはずがない。
この「思い切なれば、道近し」

2011年6月2日木曜日

98%のリサイクル






教祖のご理解第33節に、「お供え物とおかげはつきものではない」と教えられています。
問題は、その心根を見ておられるということです。
以前、ある人が「何をしているかが問題ではなく、何を思い、何をしているかが大事なんだ」と言われました。
お互いに、毎日いろんなことをさせて頂いているのですが、その行動の基になるものを考えよと言うことでしょう。






先日、娘がこんな話しをしていました。
ブラジルに世界一のことがあると。
何かと思えば、「コーラやジュース、ビールなどの缶のリサイクル率が98%にもなる」と言うことでした。
そこで考えること。
ブラジルではなぜそんなことが出来るのだろうか?
答えは明白。「お金になるから」である。
地球の環境を考えて出来れば最高ですが、理想と現実の大きなギャップがここになります。
もし、地球環境のことを考えてできれば、缶だけでなく、水も電気もすべてのものを大事に出来るのでしょうが・・・。
そんな心がすべての基になる世界が生まれることを願っています。