2020年3月24日火曜日

和賀心デービデオ投稿

新型コロナウィルスが世界中に蔓延する中、外出やイベントの規制が行われている。
そういう状況を踏まえて、金光教クリチーバ教会でも日曜日の「和賀心デー」の祭典を、実況中継することになりました。
https://www.youtube.com/watch?v=PYcdTko50jo&t=1s

自分でもその反響にびっくりしています。
とりわけ、遠くからなかなかお参りできない方は、何度も何度もお礼を言われて、有難い気持ちになりました。
遠くは、イタリアからもお礼がありました。
コロナウィルスのおかげです。
でも、一日も早く終息のおかげを願っています。

2019年2月19日火曜日

信心度胸

先日、海水浴に行って、天候にも恵まれて終日、楽しませて頂きました。中村
その折、娘が耳に水が入ったといって、いろいろと試みたけれども、耳をふさいだままで、聞き取り難くて困るという。

次の日には、すぐに保健所に行った。ところが、予約ができないほどつかえている。おまけに医者も少なくて、むつかしい状態だといわれて帰ってきた。

いろんな人に相談して、早く治したいと焦っている様子がよくわかるので、朝のカフェの時に、医者も薬も大事だし、相談するのもいいけれど、神様のおかげを頂くということが抜けているのじゃないかと。そんな話から、「神様にお任せするというても度胸がいるよ」と。それなしには、神様の働きに対して、確信的な信心はできないよと話したところ、その気になったようでした。

なかなか、思ったような結果が得られないので、気分の落ち込みがちでした。

そうこうしているうちに、数日が過ぎて週末にイベントがあり、御用で行かせて頂いていたら、ある子のお父さんが来られて、娘のことを尋ねられたので、実はこういうことでと、状況を話したところ、その方は医者で、明日診察に行くからと言われた。

次の日には、診察をして頂き、処方箋を出してくださって、おかげを頂くことになった。
おかげを頂いたのですが、何よりもこの神様の働きに恐れ入ったことでした。

信心には、神様にお任せする度胸がいることを実感させていただきました。

2019年2月2日土曜日

だれでも受けられる神徳

金光教の教祖、金光大神様は、「神徳は、信心すればだれでも受けることができる」と教えられました。また、ご理解の18節には、「この方のことを神、神というが、この方ばかりではない。ここに参ってくる人々がみな、神の氏子じゃ…この方がおかげの受けはじめである。みなもそのとおりにおかげが受けられる。」と、仰っておられます。

過去にこのように宣言された教祖、または、宗祖はおられなかったのではないでしょうか。
それは、助かりの道付けが出来なかった、特別な助かりであったからではないでしょうか。
わが師は、教祖様の信心を追及されて、神徳を科学され、次のように理解されました。
「最高にして最大の内容を持つ宗教。
それは『信心すれば誰でも受ける事が出来る』と言う神徳。
神徳の世界に住む手立てを教えられた教祖の教えの中心になるものは『天地日月の心』である。
それを具体的に言うと『成行きを尊び頂く』ことである。
神さまの働きそのものを大切にすることは、神さまを大切にすることになる。お祀りをしておる神さまばかりを大切にして、御働き其のものをお粗末にしてはお徳にならぬ。
その根底には『信心は本心の玉を研くもの。信心は日々の改まりが第一』とすることは勿論である。」
日常茶飯事の出来事を通して、信心の稽古をするところに、だれでも受けることができる神徳があると、確信します。その精進あるのみですね。

2019年1月29日火曜日

Casamento

1月26日、ビリグイ教会にて末永真佐世・Diego Sanchesを結婚式を仕えさせて頂きました。
Te amar e viver de mãos dadas contigo é uma decisão que tomei do fundo do meu coração
A palavra “destino” não representa algo que é decidido por alguém e sim um forte laço que nos une rumo ao amanhã

Em vez de encontrar a resposta perfeita,
Quero acreditar que até seus erros são adoráveis
Pois descobri que é pela gentileza que conseguirei o preparo inabalável.

O meu sentido de viver e o seu,
a partir de agora se tornarão um só
As coisas que compartilhamos aumentarão cada vez mais
Mesmo assim, você poderá se machucar
Poderá chorar muitas vezes
E por isso não vou mais soltar suas mãos
Quero descobrir contigo, a alegria de viver a dois
Por isso, não vou mais soltar suas mãos

2019年1月23日水曜日

立教160年


今年は、教祖金光大神様が、神様から「難儀な氏子を助けてくれ」との願いを受けられた時から、160年になります。
今朝のご理解に、第90節を頂きました。
「上から下へ水を流すのはみやすいが、下から上へ流すのはむつかしい。匹夫の俗人から開くのじゃから、ものがむつかしくて暇がいる。神のおかげで開かせてもらうのぞ。たとえ一時はむつかしいことがあっても、辛抱してゆくうちには徳が受けられる。」
教祖様は、この神様からの頼みを受けられて、お百姓であったのが、それから終日、お広前に座わられることになりました。
最初のうちは、「神様ごめん!」といって、足をくずしておられたということです。
座ることさえもむつかしかった教祖様は、ご自身の体験を通して、「辛抱していけ。徳が受けられる」と、教えられたのです。

Este ano faz 160 anos de fundação de Konkokyo. O fundador Konko Daijin recebeu pedido de Deus Tenti Kane No Kami para salvar os sofredores. E começou o caminho de Konkokyo.
Hoje, recebeu a Palavra de compreensão de 90 parte- É fácil fazer correr a água de cima para baixo, mas, é difícil fazê-lo subir. Mesmo dizendo que irá abrir um caminho; é muito difícil e se gasta muito tempo quando é aberto por pessoas comuns. É preciso abrir com graças de Deus. Mesmo que por algum tempo tenha dificuldades, prosseguindo com paciência consegue-se a virtude.

O fundador mesmo foi difícil de sentar com joelho durante dia inteiro, porque ele foi agricultor e não acustomou sentar direto. Em começo, ele pediu se desculpe a Kami e largou suas pernas.
Através da sua experiencia ensinou que é importante de paciencia com Kami.

2018年11月21日水曜日

おかげの兆し

ガレージを掃除していたら、ぽつぽつと小雨が降りだした。
屋根材に打ちつける雨の音を聞きながら、有難い心が起こってきた。
というのも、10日ほど前は、スレート屋根は、あちこち穴が開き、それを支える材木も腐れていて、雨が降ると、「どうしようか?雨が降ったら、ここで祭典はできなくなる。」と心配をしていた。

ところが、おかげで修理ができ、新しくなったので、雨が降っても心配することがなくなった。これも、過去に心配をするような状態を経験したからこそ、有難いと思えたのである。

してみると、困ったとか、心配だといったことは、やがて有難い心を味わうためのことであったとわかる。
教祖様は、「やれ痛やという心で有難し。いまみかげをいう心になれよ」と教えられているのは、このことであったかと、わからせて頂いた。

和賀心デービデオ投稿

新型コロナウィルスが世界中に蔓延する中、外出やイベントの規制が行われている。 そういう状況を踏まえて、金光教クリチーバ教会でも日曜日の「和賀心デー」の祭典を、実況中継することになりました。 https://www.youtube.com/watch?v=PYcdTko50jo&...