6月6日
「ここへは信心のけいこに来るところである。」
「ここ」と言うのは、「この世」と言う風に頂いたらどうだろうか。
「この世には信心のけいこに来るのである。よくけいこをしてあの世に還れ」
果して、私たちはこの世に何をしに来ているだろうか。
衣食のためにのみ働いてこの世を終えていくようなことではなかろうか。
それでは、あまりにもお粗末である。
先ほど聞かせて頂いたある震災後の話。
ある人曰く、「水を使わせて頂くことがこんなにもったいないことであった。普通に食事を頂ける事がこんなにも有難いことであった。これ以上のことを求めては、相済まないことであった」と。
衣食住に恵まれているときには分からなかった神様のおかげというものを、無くしてみて初めて分からせて頂く。
この実感が持ち続けられるおかげを頂きたいものです。
難儀、または困ったことに出会ったときに、多くの人はその原因を他に求める。
あの人が悪い、あのことがなかったら、自分はこんなことにはならなかったと。
震災に遭った人たちが異口同音に言っている事に、「これは何かの働きに違いない。それを分からせて頂きたい」と。
ある被災者が、自分の家業に使うはさみを送って頂いたと。その人が、「これで皆さんのお役に立つことができる。なぜなら私はこれで皆さんの髪を切らせて頂く、それが私の役目だと信じています」と。
果して、自分のこの世での役目はなんだろうか。
必ずあるはず、いや、なければこの世に生まれるはずがない。
この「思い切なれば、道近し」
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