早いもので20年になりました。
「今日(2011年6月14日)は、私たちがブラジルに来て20年の記念の日です。
これから、どれだけお生かし頂き、御用に使って頂けるかは分かりませんが、子供たちに伝えておきたいこと、また、お父さんがどういうことを考えていたかを知ってもらおうと思い、みんなにお礼の気持ちをこめて言葉を述べてみたいと思います。
1991年6月14日、私たちはサンパウロ、グァルーリョス空港へ降り立ちました。
長男佳行9歳、次男光徳7歳、三男安正4歳、4男宙2歳。そして佳代のお腹に長女の久保美がいました。
それから、モジダスクルーゼスの田代さん・ジョアキンさん兄弟のコンビに乗って、ビリグイ教会へ向かいました。
道中、サンパウロ支部の方たちが準備してくださった弁当を頂くのに道路脇によって食事をいただきましたが、近くに若者数人が笑いながら話をしているのを聞きながら、そして真っ黒い犬が吼えるのを聞き、とてつもなく不安になったのを覚えています。
ビリグイ教会に夕方、無事に到着。それからビリグイのご信者さんがたがフェスタをして下さいました。
その時、私はご飯を頂きながらフォークの間からご飯がこぼれるのを、中風が出たのかと思いました。実は、その当時、ビリグイでは日本米を頂くことはなかったのだと後で気がつきました。
ビリグイで3ヶ月間お世話になり、9月11日、私たちの布教地であったロンドニア教会へ向かいました。
ポルトベーリョからタクシーに乗ってアリケーメスへ向かいました。道中はジャングルを切り開いたような中にでこぼこ道が限りなく続いていました。
本当にここに来て良かったのだろうかと、限りなく続くまっすぐな道が余計私を不安にさせていました。
子供たちは、また佳代はどんな気持ちだろうか。不安になっていないだろうかと、後に座っている佳代の様子を伺うと、何とぐっすりと眠っていました。
途端に、私の心に安心が生まれました。
アリケーメスの街に入って、タクシーの運転手が住所を手がかりに道で遊んでいる子に家を尋ねたら、すぐ近くでした。不思議なことに、その子は、現在もクリチーバで信心をしている片山さんの息子、マルセルでした。
言葉も何も分からない中で、子供たちが元気に、カルチャーショックと言うようなものも感じないで、ブラジル社会に溶け込んでくれたことに心からお礼を言いたいと思います。
アリケーメスでの8年間。その間、なれないブラジル社会に憤りを感じることも多々あったけれども、いつも初代が教えてくれていたことを思うと解決がつきました。
その中には、久保美が死にそうになったこともあり、また、光徳が木から落ちて腕を折ったことがあったり、大河は、どういうわけか腕や脇に膿がたまったりと思いもかけないことがありましたが、おかげでみんな元気に、また素直に育ってくれました。
神様を杖につき、お縋りせねば通れないことばかりでしたが、いつも感動の中での8年間であったと思います。
そして、ブラジルにどうでもポルトガル語による教典が必要であるとの熱願が、クリチーバへ来ることになりました。
その働きの中には、アダルベルトの一言も神様の働きの中にありました。
クリチーバでは、若葉学校を創設して、子供たちが素直に協力してくれ、こういう大きなことになるとは思ってもいませんでしたが、まだ、不十分ではありますがおかげを頂いています。
これからも、是非、大きな願いを持って世の中のお役に立つ人になってもらいたいと思います。
それぞれの道は違っても、願いは同じところに持たせて頂きたい。お父さんは、このブラジルに和賀心時代を創るために来ました。もちろん、この願いはまだまだ少しも成就していませんが、少しずつ金光教を理解してくれる人が出てきたことは事実です。
みんながこれから色んなことに出会い、色んな困難にぶつかることもあるだろうと思いますが、そんな時に、是非、人間としての原点に立ち返ってください。
私たちは何をしにこの世に生まれてきたのだろう。どこに向かっていこうとしているのだろう。
私は、これからもブラジルの明るい将来のお役に立つために一生懸命、成り行きを大切に、神様の働きを頂きながらお役に立たせて頂きたいと願っています。
願わくば、あなたたちにもそのような願いの基にそれぞれの個性が発揮されることを願っています。
最後に、すばらしい子供たちに心から御礼を申し上げます。
神様に、初代にこのような有難い道にご縁があったことに心から御礼申しあげます。
有難うございました。
2011年6月14日、ブラジル布教20年の記念の日に」