「忘れめや 末は八尋に広けれど 元の要の一つ心を」
これは、扇子の事をうたったようで、要を大事にしないと末広にならないよということを教えられたように思う。
金光大神は、『おかげを頂いた初めの事を忘れなければ結構である』と教えられている。
凡人である身は、なかなか忘れやすいものである。
日々の成長がなければ、当然忘れてしまうもの。
三代金光様が『日々がさらでございます』と言われたが、おかげを頂きたいものである。
新型コロナウィルスが世界中に蔓延する中、外出やイベントの規制が行われている。 そういう状況を踏まえて、金光教クリチーバ教会でも日曜日の「和賀心デー」の祭典を、実況中継することになりました。 https://www.youtube.com/watch?v=PYcdTko50jo&...