2013年1月23日水曜日

Paço da Liberdade

'直訳すれば、「自由の宮殿」ということになりましょうか。
1916年に建設されたこの建物は、以前は市役所として使われていたそうです。


現在は、文化施設として使われていて、一階にはカフェテリアがあり、バリスタになる人たちが、研修期間をこのカフェテリアで実習します。ですからサービスもいい・・・かも?

クリチーバ市のプロジェクトの一環で、国際文化の紹介が数日間、ここで行われています。
今日は、日本とボリビアのグループが披露をしました。

若葉太鼓にとっては今年初めてのプレゼンです。
ボリビアの演奏があっているときに、私の横に来てある夫人から、太鼓の演奏はもう終わったの?と聞くので、「いや、このボリビアのグループの演奏が終わってからもう一度やります」と答えたところ、「よかった!わたしこれが大好きなの」といわれました。

おかげで始めると同時にたくさんの人たちが周囲に集まってきていただきました。

心配していた演奏の出来具合も、神様のおかげを頂きまして、つつがなく演奏することが出来ました。リハーサルの時に心配していた危なさを、神様から助けて頂きました。

有難うございました。


今年もよろしくお願いしま~す。

2013年1月14日月曜日

ブラジル布教の本格始動

2013年、1月13日 午前10時からリオデジャネイロ教会の開教式が、末永満先生、ソランジャ先生によって仕えられました。
2日前までの降り続いた雨もすっかり上がり、リオには珍しく暑すぎることもない好天気の中で、祭典が仕えられました。
 



今年の始めから準備が始められ、お広前もお広前らしい仕上りとなり、それまで大石先生が使われていた神具がぴったりとこちらの広前に設えられました。

大石先生も日本からご信者さんを連れて駆け付け、ブラジル各教会からも先生方がそろわれての開教式となりました。

リオでの布教は、今まで日系人中心となっていたブラジル布教で、本格的なブラジル人への布教の始まりでもあります。
その日集まってこられた人たちもすべてブラジル人の人たちで、13名の参拝がありました。

参拝者の中の一婦人は、祭典中ご結界の後ろに掲げられた合楽教会初代、大坪総一郎師が、心眼に出てこられて、二つの困った出来事について答えられ、一つは私個人の事で話せないが、もう一つは、娘の事について「心配ない。安心しなさい」と言われたという。

ソランジャ先生の絵画教室が中心になっての参拝の方たちもお育てを頂かれている様子であった。
祭典後、大石先生がお話をされ、リオ教会がこうして開教式を迎えられたこと、満先生が後継をしてくださることについて神様にお礼を言われた。それから、ビリグイ教会末永先生より、早朝のご祈念でお知らせにキリストと教祖様がこのリオの広前に降りてこられたところを頂かれ、キリスト様も共々に助かっていくことになると…。

その後、ソランジャ先生、満先生のお礼の言葉があり、最後に、教務総長の祝電がポルトガル語に訳されて披露され、祭典は終了した。

ご直会では、和やかに会食が行われ、ブラジルならのシュラスコ、フェジョン、野菜サラダをおいしく頂いた。

教祖130年の記念の年にめでたく開教式が行われ、ブラジル人布教への本格始動が始まったことを実感する祭典であり、これからの布教成就を願ってやまない。

2013年1月9日水曜日

忠犬ならぬ“忠猫”


産経新聞の記事にこんな素晴らしいものがあった。
現代は、親が子を殺したり、子が親を殺したり、果ては、後ろ足で砂をかけて去るような人まであるのに、人間が万物の霊長と言われたのは遠い昔のことのようだ。


 亡くなった飼い主にお供えを続ける“忠猫”トルド=イタリア中部モンタニャナ(地元紙コリエレ・フィオレンティーノ提供・共同)
 亡くなった飼い主にお供えを続ける“忠猫”トルド=イタリア中部モンタニャナ(地元紙コリエレ・フィオレンティーノ提供・共同)
 イタリア中部フィレンツェ近郊の小さな村で、亡くなった飼い主の墓に1年以上も木の葉や小枝などをお供えしている“忠猫”が話題になっている。
 地元紙によると、この猫は白と灰色の毛並みの3歳のトルド。中部モンタニャナの飼い主レンゾ・イオツェッリさんは2011年9月、71歳で亡くなった。レンゾさんに生後3カ月で引き取られ、かわいがられてきたトルドは、葬儀当日も墓地までレンゾさんのひつぎを追い掛けた。
 翌日、妻のアダさんが墓地を訪ねると、墓石の上にアカシアの葉が置かれていた。その後もプラスチックのコップやティッシュペーパーなどが連日「供えられる」ようになり、多くの目撃情報からトルドが置いていたことが分かった。
 アダさんは「夫にとても愛されたトルドが感謝の気持ちを表しているようだ」と話している。

2013年1月2日水曜日