2011年12月27日火曜日

千年の釘にいどむ

日本の小学校5年生の教科書に、『千年の釘にいどむ』と題した、土佐派鍛冶師 白鷹幸伯師(しらたかゆきのり)の思いをつづった文があるという。














飛鳥時代に建立されたといわれる法隆寺や奈良時代に建立された薬師寺は、千数百年経った今も健在で、木造建築では世界に類を見ないものである。
そこには、千年の時を経て今も錆びることのない、腐れることのない釘が使われているという。

普通、私たちが目にする釘は、20年が限度で後は錆びて使えなくなる。
1981年に薬師寺の再建にこの白鷹師が千年たっても錆びて朽ちることのない釘つくりに取り組んだ思いをつづっている。
鉄は熱しては叩き熱しては叩きして強度を増すというが、この時に火花と一緒に鉄に含まれる不純物が一緒に飛び出していくのだという。それで純度の高い鉄ができ、だから長い年月にも朽ちることがないものになるのだという。

時間をかけ、繰り返し繰り返しの取り組みが、比類のないものを作り上げる。
まさに、匠の技である。

その長さ30㎝もある釘を6990本も薬師寺の東堂には使ってあるという。











私は、鉄を熱しては叩き、熱しては叩きしながら不純物が取れていくのは、丁度私たちの人生と同じだと感じた。

痛かったり辛かったり、投げ出したくなったりするときがある。
それはちょうど、叩かれて熱されて不純物をとられる時である。それを受けきれないでいるところに、なかなか人間が助かるということに繋がっていかないのではなかろうか。

最高のものを作り上げるにはその手間暇がいるのは当然である。
もし、私たちが大きな願いに目覚めれば、この困難と思えることも、受け止めていけるのではなかろうか。
あなたの目の前に、困ったと思うことがあるとするならば、今こそ私の中にある不純物がとられている時ではなかろうか。